公益財団法人
 アジア福祉教育財団

Foundation for the Welfare and Education of the Asian People

当財団のあゆみ

昭和44年〜53年(1969〜1978年)

 ベトナム戦争によって生じた大勢の孤児、母子などの惨状を救うため、昭和43年3月22日に開かれた自由民主党両院議員総会(衆議院280名、参議院139名)で、同党の衆参両院議員全員の歳費から一定期間、所定の額を拠出することが決まりました。これを基本金として、昭和44年12月12日に設立されたのが当財団です。
 設立当時は、ベトナムの孤児、母子などの救済を主眼としていたため、ベトナム孤児福祉教育財団と呼称しましたが、昭和46年10月、ベトナム一国に限らず、アジアのいずれの国においても同様の救済ができるよう、アジア孤児福祉教育財団と改称しました。また、新たな事業として昭和52年7月からアジア諸国の社会福祉施設への援助事業が始まり、さらに昭和53年10月からはアジア各国の福祉関係者の日本への招聘事業を行なっています。


▲戦時下の南ベトナムを視察に訪れ、日本からの救援物資として医薬品を手渡す奥野現名誉会長。ユエ市長レ・バン・タン大佐からは、テト攻勢(昭和43年春)で大きな被害をうけたユエの一般情勢と難民の実情を聞いた。


▲タイニンにある難民一時収容所。
サイゴン(現ホーチミン)の北西、カンボジア国境に近く、テントで4家族の難民が生活している。長い戦禍で心身とも傷ついた難民が着の身着のままの生活をしていた。昭和45年6月17日


▲ビエンホアの職業訓練施設の開所式は大勢の日本側関係者も出席して盛大に開催された。当時の松田竹千代理事長の姿も見える。昭和48年9月1日


▲第1回招聘事業で来日したタイの社会福祉関係者一行。昭和53年10月

昭和54〜平成元年(1979〜1989年)

 ベトナム戦争の終結後、ベトナム、ラオス、カンボジアのインドシナ三国の難民の流出が頻繁になり、政府は日本に定住を希望する者に対しては定住を認めることを決めました。財団は、政府の委託を受け、こうした難民の救援事業を実施することになりました。昭和54年10月にはアジア福祉教育財団と改称、今日に至っています。昭和57年1月には定住インドシナ難民を励ます会を実施。昭和60年5月には念願の本部ビルが完成しました。


▲昭和54年10月8日、インドシナ難民の援助を行うため、定住の促進、難民に関する内外事業の調査、その他必要な事業を実施することになり、難民事業本部の設置が決まった。昭和54年11月2日開所式を挙行。


▲当財団事務所が、港区南麻布5−1−27の財団所有地に昭和60年4月無事竣工した。翌5月16日新装された事務所において自治省事務次官、外務省国連局長、国際連合難民高等弁務官事務所駐日代表等、多数の来賓の方々のご出席を得て竣工式を行った。事務所は敷地面積437.95uの土地に、鉄骨鉄筋造り地下1階地上4階延面積1,270.65uで、構造・設備など近代的な施設であると共に、地の利、環境等にも恵まれ、正に当財団の業務推進の拠点として相応しいもの。


▲国際救援センターが開所。わが国に一時滞在しているインドシナ難民の急増と長期化への傾向に緊急に対応するため、自活又は定住を希望する難民を入所させ、日本社会への適応に必要な日本語教育、生活指導、職業紹介等を行い、もってインドシナ難民救護の一層の合理化を図ることを目的とした。収容定員は500人(最大収容人員720人)。昭和58年4月21日


▲インドシナ難民雇用促進運動月間が始まる。「インドシナ難民に職場を住まいを愛の手を」を合言葉に全国的にくりひろげられた。運動初日には奥野理事長(当時)自ら先頭に立って新宿小田急百貨店特設会場と街頭で行きかう人たちに理解と支援を呼びかけた。大相撲の寺尾関らも協力。昭和60年10月1日


▲平成元年12月12日。財団設立20周年、難民事業本部設置10周年記念式典

平成2年〜14年(1990〜2003年)

 開始当初は年間10名内外で行なっていた招聘事業でしたが、各国からの好評に応え、事業をより一層発展させるために漸時招聘回数を増やし、平成8年からは、年3回60名(1回あたり各国5名、4カ国計20名)の規模をもって活動しました。
 難民事業本部は、わが国で唯一日本政府から委託された難民救援事業を行なう組織としてアジア情勢の変化を視野に入れつつ、新たな貢献にとり組みます。


▲平成3年1月1日、第8代の国連難民高等弁務官に日本の緒方貞子さん(元上智大学教授、国連代表部公使)が就任。同1月28日当財団に奥野理事長(当時)を訪ねて就任の挨拶をした。


▲奥野理事長(当時)は平成10年1月、インドネシア、マレーシア、タイ、インドを訪問。アジアの歴史や激動するアジアの経済情勢を視察するとともに各国政府の閣僚らと会見。各国の福祉担当相には財団の招へい事業への協力に謝意を示した。写真はインドのラムーワリヤ福祉大臣を訪ねた時。平成10年1月15日


▲モンゴル国立人文大学に日本語教材や日本文学全集などを寄贈後、同大学学長室でB.チョロンドルジ学長と懇談する奥野理事長(当時)(奥野理事長(当時)の右、花田駐在大使)。平成13年8月16日

平成15年〜23年(2003〜2011年)

 招聘事業は、平成15年よりインドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)とモンゴルを、平成19年よりブータンを加え年3回60名(1回あたり各国5名計20名)の規模を持って活動しています。招聘回数は平成23年11月で95回に達し、累計1,517名の福祉関係者がわが国を訪れたことになります。
 さらに、難民救援事業では、平成14年に閣議了解にて条約難民への定住支援の対策がとられることとなり、当難民事業本部においても翌15年よりインドシナ難民と同様に支援を開始しました。なお、インドシナ難民の受け入れについては平成17年度末をもって終了し、「国際救援センター」は閉所しました。
 平成18年4月からは、条約難民を対象に日本語教育、生活ガイダンス、就職あっせん等を行う新たな施設として「RHQ支援センター」を東京都内に設け、定住支援事業を行っています。また、難民認定申請者に対しては、これまで生活困窮者へ保護費の支給を行っていたところ、加えて困窮度が高く宿泊場所の確保が困難な者の緊急宿泊施設として平成15年に「ESFRA(エスフラ:Emergency Shelter For Refugee Applicants)」を開設しました。
 また、日本政府がUNHCRからの要請を受け、平成22年秋から新たに開始した第三国定住難民の受入れと定住のための支援を「RHQ支援センター」において実施しています。


▲招聘事業の研修風景。国立看護大学校森山教授から日本の福祉行政について学習。


▲インドシナ難民の受け入れ施設、国際救援センターが23年間の役割を果たし閉所したこととを受け、センターを修了した有志が日本政府、国民の方々へ感謝の意を表すため都立みなとが丘ふ頭公園にハナミズキを植樹することとなり、記念式典を開催する(平成18年10月6日)。


▲RHQ支援センターを視察する綿貫理事長。条約難民へ「日本で生活していくためには日本語の習得が大変重要であり、財団はそのための協力を惜しまない」と語りかけた。


▲日本の障害者授産施設を熱心に見学するカンボジア、ラオス、マレーシア、ベトナムの福祉関係者たち。

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